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​中陰法要について
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中陰のお勤め

葬儀式を終えて、初七日、二七日と中陰のお勤めを続ける訳ですが、世間の俗信によりますと、亡き人の魂が長年住み慣れた家から離れられずに迷っているから、初七日、二七日とお勤めをする事によって迷わず成仏出来る。

その為に七日七日のお勤めをするのだと言われています。

親鸞聖人のお示しでは、命終とともに即、お浄土に往生させて頂く。

ですから、命終わって、尚、ウロウロと家の破風やら、棟にとどまっている事等全くありません。全くの迷信と言わざるを得ません。

それは、残された人の思いであって、亡くなった方はもう、何の心配もしなくてお浄土で私達を見守って頂いているからです。

死後四十九日の中陰中は愛するものと現世での別れねばならぬ現実、望まならぬに来た悲しい現実を縁にして、阿弥陀如来が残された私達に、如何に無常とは言え、その無常を超えて行かねばならぬと教えて頂く期間だとうなずいて行く事です。

四十九日間をかけて、初七日、二七日とみ仏のお前に座って、私自身の生き様が、「南無阿弥陀仏」の心に沿っているかどうかを確かめて行くのが、中陰のお勤めです。亡き人は迷っていません。迷っているのは私そのものです。

佛様は一生懸命に私達に語りかけて頂いています。

あなたもいつか、その日がやってくる。今ある命、ご先祖のお陰で戴いた

命をもっともっと大事にして、命終わるまで、精一杯生きるんだよ!

悲しみをバネにして、明日終わるかもしれない大事な一日一日を、ご先祖様から戴いた「いのち」に感謝して生きてゆく、そう、うなずけるように私自身に問いかけてゆく事です。

ですから、遺骨やら、遺影の安置してあるいわゆる中陰壇でお勤めをするのではなく、お仏壇のご本尊の前でお勤めをするのです。

写真は残った私達が、故人を偲ぶもの、お位牌も私達の目印です。

写真や遺骨はご本尊ではありません。

阿弥陀如来ご本尊は、私達の為にあるのです。

また、中陰に関わる迷信に四十九日が三月にまたがるといけないと言って、二ヶ月の間に中陰法要を勤める方もあります。

三ヶ月にまたがると、亡くなった人の死が私の「身につく」と言われるのも、私が迷っているあかしであります。

最近では、お葬式の日に初七日を勤める事が多くなって来ています。

場合によっては、葬儀場で初七日を勤めたいと言う方も出て来ています。

ここまで申し上げて来たように、佛様、お仏壇は私の為にあるのです。

決してご先祖の為にあるのではありません。

初めて迎える初七日は是非、ご自宅のお仏壇でお勤めいたしましょう!!

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